夏目漱石『文鳥』を読む
鈴なしブランコで景気良く遊ぶチャーリーを見ていると、もしや音の出る玩具が好みというよりは生を楽しむ術を心得ているのやもしれぬ。
ちらと本ブログのプレビュー数が増えているので、ここはひとつとブログの拡散に勤しんでいるのだが、ブログ村やブログランキングには多様な生活を営んでいる鳥が各々見受けられる。どの鳥も幸せそうな姿で、実にいじらしい。
以前『文鳥』を読んだ際には文鳥に対する漱石の恋にも似た熱情が色鮮やかに描かれていると感想を抱いたが、本日改めて読んでみると痛ましい結末をすっかり忘れていたことに気づいた。具合の悪いところは忘却する悪癖である。
しかし作中の「文鳥」はチャーリーや現代に生きる鳥達同様、狭い籠の中で生きながらも生を楽しむ術を心得ており、そのいじらしさが際立ったからこその忘却だと言い訳をさせてほしい。
“次の朝はまた怠けた。昔の女の顔もつい思い出さなかった。顔を洗って、食事を済まして、始めて、気がついたように縁側へ出て見ると、いつの間にか籠が箱の上に乗っている。文鳥はもう留り木の上を面白そうにあちら、こちらと飛び移っている。そうして時々は首を伸して籠の外を下の方から覗いている。その様子がなかなか無邪気である。”
また、作中の水浴びをする「文鳥」の姿は格別であるので、悲惨な結末を覚悟しながら読書の秋に楽しんでくだされば幸いである。
去る九月十七日、チャーリーを抱えて歩いた夜道を、忘れてしまう時が来るかもしれないと怖くなることがある。
今まで「少しも不平らしい様子がなかった」チャーリーである(ペレットはさておき)が、物言わぬ鳥なのでこればかりは忘却せぬよう心に留めておく。
<了>
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2002/09
- メディア: 文庫
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