鈴とつまようじと君と僕
ヒトの赤ん坊は音の出るおもちゃが好きだ。
最近だと技術発展と英才教育の意味も込めて多少複雑な音階の品もあるようだが、単純ながらがらも手軽さで人気があるらしい。そのように教育者の妹から聞いた。
音の出る玩具で遊ぶ赤ん坊のなんと可愛らしいことか。ご機嫌で高い声を上げる様子を想像するだけでいじらしく、温かく、気持ちが良くなる。
インコであっても鈴のおもちゃを振り回している様はなんとも可愛らしいものである。
仕事の合間のことであったため、高い声を聞くことが出来なかったが、代わりに激しい首振りを見せてくれた。
時にちゃりさんの玩具事情だが粟穂とつまようじと鈴のみである。振り回した後は落とすことに生き甲斐を感じている有り様なので、小さな鈴が転がって失くしてしまわぬよう配慮を怠らない。
そういえば、セキセイインコの思考能力はヒトの年齢で二つ三つの頃とさほど変わらないそうだ。
ともすれば、ベビーカーからよく物が落ちるのを目撃するが、それは赤ん坊の遊びということか。部屋の中で済むセキセイインコオーナーと違って、ヒトの両親は大変な配慮が必要だろう。赤ん坊の遊び場は生きているこの世界そのものなのだから。
※成人になっても落とす遊びは楽しいものだが、八つ当たりどころなる有償のサービスなどを利用してリスクヘッジをする。配慮する保護者がいないことを自らの金銭で補填するのだ、虚しいことである。
<了>