よんよん『山椒茶屋』一巻、二巻を読む
チャーリーのろう膜(鼻)を見ると生え際に微かな棘がある。撮影時も柔らかな幼鳥の羽毛がはらと落ちた。その羽毛を採取し、瓶に詰めた。成長を感じる日々である。
まこと単純なものだが、羽毛の瓶詰めも最近電子書籍にて購入した『山椒茶屋』の影響である。
本書は元々ブログで連載していたセキセイインコ漫画をまとめたもので、雛のさし餌や副菜、放鳥時の遊び方など楽しく読める本となっている。
実用的なところもさることながら、本書の魅力はその絵柄にある。飼い主であるよんよん氏始め、登場する人間の擬動物化で、セキセイインコの「山椒」の可愛らしさを邪魔しない。
また、キャラクターデザインが非常でシンプルがゆえに嫌味がなく、ほろりと解けるような心持ちがする。
ゆったりとしたエレクトロニカをBGMに夜寝る前読んでいただくと、巨大セキセイインコに埋もれる夢が見られるかもしれぬ。(本編の合間によんよん氏の一言イラストが添えてあるのだが、その中に巨大「山椒」に埋もれる一枚があった。このカットらもまた、鳩尾がほんのり暖まる。)
いくつかの電子書籍ではサンプルも見受けられたのでセキセイインコファンの方はぜひ一度お試しいただければ幸いである。
<了>
インコを飼い始めて一ヶ月で起きた良いこと三つ
セキセイインコのチャーリーと暮らし始めてから一ヶ月が経った。
振り返ると生活時間や方法が大きく変化し、また、それに伴って私の心身にも変化があったのでここで一度記しておこうと思う。
一つ、日々の生活を効率よく過ごせるようになった。
セキセイインコを飼う上で必ず気をつけねばならぬこと、それは発情抑制対策である。
最も効果を持つ方法の一つとして睡眠時間の管理があるが、チャーリーの場合は朝八時から夜九時。これはいかなる日も変わらない。ゆえに人間もそれに合わせて給餌や掃除をしてやる。
自然、飼い主の生活時間も固定される。休日であろうと朝八時に起き、生活を始めることでチャーリーに関すること以外でも習慣が身についた。前日の夜には明日のチャーリーのことを考えているので、別の用事でも忘れ物が少なくなり、遅刻することがなくなった。
二つ、煙草の本数が減った。
セキセイインコにとってタバコはもちろん有害であり、一度煙に曝されると中毒を起こす。それを防ぐために煙草を喫む時はチャーリーのいる部屋から出なければならない。実に面倒である。また、チャーリーの方も我々の姿が見えなくなると寂しそうな声を二、三度あげる。可哀想でならぬ。
ゆえに煙草を喫む機会が減る。本数も減る。じきに加熱式煙草に切り替わるやもしれぬが、その前に辞めることもできそうだ。
三つ、無駄な出費が激減した。
我が家は大食らいのくろがいることと、私が生活力のないことからエンゲル係数が非常に高かった。つまり、外食が多かったのである。
チャーリーが来たことで孤独にするのがしのびなく、外出の折には夜九時以降に出ることが暗黙の了解になった。私の住んでいる地域だとその時間は店が限られる。そして外食を諦める、というわけである。
また、外に出る度掛かる経費(買い物だとか遊戯費だとか)もまったくなくなった。
裏を返せば、今まで上記のことが出来ず、未熟で怠惰な生活をしてきたわけで、飼うまでは責任を持てるのか、自分が合わせられるのか、非常に不安だった。
親は最初から親ではないとはよく言うが、まさに私にも当てはまるといえよう。鳥飼いは最初から鳥飼いではないのだ。
ほんの小さなチャーリーであるが、日々私に大きな影響を与えている。本当にすごいことである。
<了>
鳥飼いによるiPhone/Apple Watch活用策その一-写真-
本日もまた元気よく小松菜を食すチャーリー。私が休日であるがゆえに良き写真を撮る方法を模索すべく働いてもらう所存であるので、前給金として受け取ってほしい。
なお、私は全くの写真素人であり、もっというなら自分の意思で撮った写真すらほとんどない。平成生まれのデジタル人間であるからして、プリクラだの自撮りだの学生の時分に強制させられたことがあるが、全く無頓着なので今の今まで写真について考えたことがなかった。
この写真は一ヶ月ほど前の写真であるが、すでに本日撮った写真と構図がそっくりである。私はこの事実に驚愕した。
撮影技術の未熟さに加えて、被写体がほぼケージから出ず(放鳥したとてくるうりと一周した後は必ずケージに戻る)、代わり映えのしない背景が更に追い打ちをかけるのだ。
前置きが長くなったが、以下Apple Watchを活用しながら撮ったチャーリーの写真をまずは見て欲しい。
撮影技術は一長一短で解決するものではないと考え、まずは背景、視点を変えた。
方法は簡単。iPhoneにペアリングしたApple Watchをカメラリモートモードにするだけである。
待受画面からデジタルクラウンを一度押してカメラリモートアプリを出す。
Apple Watch側で起動するとiPhoneも連動して起動する。Apple Watchの画面ではiPhoneのカメラで写している画面を見ることができるのだ。
バーストモード(十枚まで)やセルフタイマー、拡大(デジタルクラウンを回して調整)も利用できる。また、小さい画面ながらフォーカス位置をiPhone同様任意に設定できるのも嬉しい。
iPhoneをケージに入れ(ケージは殻や羽毛だらけなので小ぶりの台に立てかけると良い)、ショパンの子守唄を流しながら、Apple Watchでフォーカス調整し、撮影することも可能である。
またサンプル写真の素晴らしい羽毛だが、拡大してフォーカスを合わせるだけで美しい羽毛を撮影することができた。安い言葉で恐縮だが、iPhone様様である。
セキセイインコにとっての小松菜とその他副食
iPhoneにはバーストモードという連写機能があり、動き回るチャーリーを撮るのに便利である。少々ぼやけているが、なかなか可愛らしい姿を写すことができた。
豆苗を好むチャーリーは小松菜に対して消極的な態度を取る。青菜の中でも毎日与えてもよい優秀な性能であるので、都度与えるようにしていたのだが、やはり食べない。
そこで本日は細かく割いてやり、豆苗のごとき形状にして与えてみた。驚くことに全く食いつきが違った。むしろせがむくらいの姿勢を見せる。
にんじんやカボチャ、大豆など副食は様々なものがあり、またインコによって好みが全く違うのだという。今まで触れようとしなかった小松菜も形状を変えるだけで食すのだから、セキセイインコというのは味だけではなく、食自体にこだわりがあるのかもしれない。
かくいう私は生来の気質により、食せぬものがない。見た目が美麗でなくとも、匂いに癖があっても、大体楽しめる。育ちが良いとは決して言えないのでそれがどのような食事でも楽しめる逞しい舌を育てたのだと思う。
両親には感謝しきりである。
チャーリーにもどんな食餌を与えられたとて、楽しめるようなタフな鳥に育って欲しい。
<了>
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夏目漱石『文鳥』を読む
鈴なしブランコで景気良く遊ぶチャーリーを見ていると、もしや音の出る玩具が好みというよりは生を楽しむ術を心得ているのやもしれぬ。
ちらと本ブログのプレビュー数が増えているので、ここはひとつとブログの拡散に勤しんでいるのだが、ブログ村やブログランキングには多様な生活を営んでいる鳥が各々見受けられる。どの鳥も幸せそうな姿で、実にいじらしい。
以前『文鳥』を読んだ際には文鳥に対する漱石の恋にも似た熱情が色鮮やかに描かれていると感想を抱いたが、本日改めて読んでみると痛ましい結末をすっかり忘れていたことに気づいた。具合の悪いところは忘却する悪癖である。
しかし作中の「文鳥」はチャーリーや現代に生きる鳥達同様、狭い籠の中で生きながらも生を楽しむ術を心得ており、そのいじらしさが際立ったからこその忘却だと言い訳をさせてほしい。
“次の朝はまた怠けた。昔の女の顔もつい思い出さなかった。顔を洗って、食事を済まして、始めて、気がついたように縁側へ出て見ると、いつの間にか籠が箱の上に乗っている。文鳥はもう留り木の上を面白そうにあちら、こちらと飛び移っている。そうして時々は首を伸して籠の外を下の方から覗いている。その様子がなかなか無邪気である。”
また、作中の水浴びをする「文鳥」の姿は格別であるので、悲惨な結末を覚悟しながら読書の秋に楽しんでくだされば幸いである。
去る九月十七日、チャーリーを抱えて歩いた夜道を、忘れてしまう時が来るかもしれないと怖くなることがある。
今まで「少しも不平らしい様子がなかった」チャーリーである(ペレットはさておき)が、物言わぬ鳥なのでこればかりは忘却せぬよう心に留めておく。
<了>
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かじりんボーとチャーリーの関係
以前病院にておやつ状のかじり棒を常設すると、脂肪過多による万病に繋がると話を聞き、慌てて撤去したことがあった。
かじるものを失い、しかし嘴が気になる様子のチャーリーはケージをかじるようになってしまう。そして私に逐一妨害を受けていた。(気に入りの箇所があるようで継続してかじり続けると錆びてしまう危険性があった。万病に気遣った行動ゆえに中毒になってしまっては元も子もない。)
妨害を受ける度切なげな顔をするチャーリーを不憫に思ってか、くろが少ない小遣いからスドーロッカクかじりんボーSを購入してくれた。
最初こそ気に入りの箇所の上に突然現れた塊に恨めしい視線を送っていたものだが、現在では写真の通り、かじるもよし、頭を擦り付けるもよしと仲良く暮らしている。
手馴れた道具と同様の効能を持つ新しい道具を与えられた時、人間も何かと理由をつけて手馴れた道具に戻りたがるものであり、それが行き過ぎると新しい道具に恨めしい気持ちを抱くことがある。
しかし新しい道具は大抵手馴れた道具より機能としては優れていることが多い。(もちろん例外もある、例えば唯一無二の美術品であるとか。)
新しいものを受け入れる大きな度量、チャーリーのような心構えを持ちたいと思う。
<了>
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